情報処理学会による情報処理専門カリキュラム標準J07策定の動き

情報処理学会による情報処理専門カリキュラム標準策定の動向

情報処理標準カリキュラム策定の歴史と最近の動き

社団法人情報処理学会(以下、情報処理学会)では、わが国の大学等の高等教育機関における情報処理教育について随時検討が重ねられており、各教育機関の情報処理教育カリキュラムの開発・実施において参照される、標準的なカリキュラムの策定が行われている。
1990年には、J90と呼ばれる情報処理標準カリキュラムが発表され、その後1997年には、第2世代の情報専門学科カリキュラム標準J971が発表され、わが国における情報処理専門教育のカリキュラム標準として、高等教育機関における情報処理教育のカリキュラム設計のリファレンスとして活用されてきた。
わが国の情報処理標準カリキュラム策定の流れは、1960年代から続く、米国の情報処理標準カリキュラム策定の流れ2を追う形で進められてきた。J97は、米国の情報処理標準カリキュラムであるCC1991(Computing Curriculum 1991)を参考に策定された。さらに、米国では、その後、1990年代におけるインターネット利用の飛躍的拡大、Web等の発展普及等のIT分野におけるパラダイムシフトへの対応、情報処理教育におけるエンジニアリング的側面の充実を図るため、2001年にCC2001が策定され、コンピュータエンジニアリング分野の改善等が進められた。その後、2005年には、最新カリキュラムであるCC2005が公表されるに至っている。
わが国では、情報処理学会がJ97を公表してから約10年が経過し、その間、情報技術に関する飛躍的な発展、情報技術の社会インフラ化が進んだ。このような状況の中、高度情報技術者育成の重要性が一層増大し、わが国の情報処理カリキュラム標準の見直しが、情報処理学会で行われている。具体的には、情報処理学会の情報処理教育専門委員会(委員長:早稲田大学理工学術院 筧 捷彦教授)の下に、情報専門学科標準カリキュラム策定プロジェクトJ07が発足し、2007年3月に情報専門学科におけるカリキュラム標準J07の知識体系が公表された。2007年度には、公表された知識体系を詳細にわたって完成させるとともに、その知識体系については、少なくともコア項目(「必修」的な項目)に対する学習達成目標(水準)を示すとともに、カリキュラム例は、少なくともコアとする項目をすべて網羅できる科目の構成・配置例を作成するとしている。

情報専門学科カリキュラム標準J07の概要

情報処理学会の情報専門学科カリキュラム標準J07では、米国における最新の情報処理標準カリキュラムであるCC2005等も参考にしながら、①当該分野のカリキュラムの国際的な整合性に十分配慮する、②カリキュラムの端から端までを縛るのではなく、最低限どのような知識をどの深さまで習得することを目標とすべきかを定める、などの原則をふまえ、具体的な科目配置・履修学年等は一例を示すに留めることなどを方針としてカリキュラム標準の策定が進められている。この方針は、教育プログラムの認定(例えば、日本技術者教育認定制度3)においては、教育機関の自主性・創造性を最大限尊重し、教育方法の開発・実施は、それぞれの教育機関が担うべき役割としていることに呼応するものである4。また、大学教育が、知識を教授するという従来の方式・方法にとどまらず、プロジェクト中心の学習方式(PBL: Project Based Learning)やインターンシップの広がり、e-learning等の活用等の教育方式の多様化が進む中、カリキュラムに関する基準参照文章が標準の“カリキュラム”(科目内容と科目配置)を示すという従来型のカリキュラム標準ではまとめられないことを反映している。このような考え方は、CC2001~CC2005においても採用されている。
2007年3月に公表された中間報告によれば、J07もCC2005と同様、カリキュラム全体がCS(Computer Science)、CE(Computer Enginerring)、SE(Software Engineering)、IS(Information System)、IT(Information Technology)の5つの領域に体系化されている。2007年3月の段階では、各領域で扱う知識項目(又は知識体系:Body of Knowledge=BOK)が洗い出され、それぞれの教育プログラムが教育・学習の対象とすべき中核項目(Core)が選定された。5つの領域の特徴は、次表に示したように特徴づけられている。

J07における5つの領域と特徴

CS(Computer Science、コンピュータ科学)

CSは、情報の表現・蓄積・伝達・変換に関するアルゴリズム的プロセスを、理論・分析・設計・実現・評価の各面にわたって系統的に扱う領域である。この領域の根底にある問題意識は、「何が効率よく自動化できるか」である。

IS(Information Systems、情報システム)

ISは、社会や組織の問題点を見つけ出し、組織の変革を行い、費用対便益の高い情報システムの開発・導入を創造的・効果的に実現するために必要となる、理論・技術・技量を幅広く扱う領域である。この領域の根底にある問題意識は、「いかにして最大の費用対便益をもたらすか」である。

SE(Software Engineering、ソフトウェアエンジニアリング)

SEは、CSおよびソフトウェア工学を基にし、「体系化された方法論および計量技法を用いて、ソフトウェアシステムを開発、運用および保守すること」を目的とする領域である。

CE(Computer Engineering、コンピュータエンジニアリング)

CEは、情報のプロセスを応用各面にわたって系統的に扱い、ハードウェアでの実現を目指す領域である。

IT(Information Technology、インフォメーションテクノロジ)

ITは、情報システムから、アプリケーション技術、そしてシステム基盤に至るまでの広い範囲にわたって、組織や個人の情報技術に関する広範なニーズに答えることを目指す領域である。

引用)筧捷彦、“変わりつつある情報教育 大学における情報教育J07”、PP1218、 48巻11号 情報処理(2007年11月)


1 大学の理工系学部情報系学科のためのコンピュータサイエンス教育カリキュラムJ97(第1.1版)
(社)情報処理学会(1999)(http://www.ipsj.or.jp/12kyoiku/J97-v1.1.pdf
2 Currculumn68, 78はACM(Association for Comuting Machinery)により策定され、CC91以降は、ACMとIEEE(The InstITution of Electrical and Electronics Engineers)が共同でカリキュラムを策定している。CC2005では、ACM、IEEEに加え、The Association for Information Systems (AIS)が策定に参画している。
3 大学など高等教育機関で実施されている技術者教育プログラムが、社会の要求水準を満たしているかどうかを外部機関が公平に評価し、要求水準を満たしている教育プログラムを認定する専門認定(Professional Accreditation)制度である。同認定制度(通称:JABEE認定)は、日本技術者教育認定機構(JABEE : Japan Accreditation Board for Engineering Education/設立1999年11月)が、技術系学協会と密接に連携しながら技術者教育プログラムの審査・認定を行っている。
4 情報専門学科標準カリキュラム中間報告(社団法人情報処理学会J07プロジェクト連絡委員会)


情報専門学科カリキュラム標準J07の知識項目

情報専門学科標準カリキュラムJ07を構成する5つの領域、CS(Computer Science)、CE(Computer Enginerring)、SE(Software Engineering)、IS(Information System)、IT(Information Technology)別の知識項目の概要は、下記の通りである。

CS(Computer Science)領域

J07では、CS領域を、情報処理とコンピュータに関する基本的な内容を、理論的および実際的観点から系統的に扱う研究・教育分野であると規定している。また、今回のカリキュラム策定にあたっては、わが国のCSカリキュラムと比較して、米国のCSカリキュラムが、ソフトウェア工学、データベース、離散数学に関する内容の教育が手厚いことが意識されている。J97との相違点としては、①科目ではなくBOKを定めている点、②領域、ユニット、トピックから構成され、ユニットでは、内容(トピック)と学習目標を設定し、ユニットの組み合わせにより科目を特徴付けている点、③コアユニットを設け、「必修」的な考え方が盛り込まれている点、などが挙げられる。
J07では、知識体系の領域として、マルチメディア表現(MR)が設けられた点も特徴的である。コア時間数は、CS2001と比較して少なくなっているが(対比:14%減)これは、一般にわが国の理工系学部カリキュラムは、米国と比較して、選択専門科目が多く、卒業研究の占める時間数が大きいという事情が配慮されていることによる。

CS領域の知識体系の概要
略称 領 域 ユニット数 コア時間 参考:CS2001コア時間
DS 情報の基礎となる数学など 8 41 43
PF プログラムの基礎 5 38 38
AL アルゴリズムの基礎 10 18 31
AR アーキテクチャと構成 9 33 36
OS オペレーティングシステム 13 15 18
NC ネットワークコンピューティング 7 14 15
PL プログラミング言語 11 19 21
HC ヒューマンコンピュータインタラクション 8 8 8
MR マルチメディア表現 6 3 0
GV グラフィックスとビジュアルコンピューティング 8 3 3
IS インテリジェントシステム 10 3 10
IM 情報管理 14 14 10
SP 社会的視点と情報倫理 10 11 16
SE ソフトウェア工学 12 20 31
CN 計算科学と数値計算 4 0 0
合計 135 240 280

※ MRはCS2001には存在せず、J07-CSで設けられた領域

IS(Information System)領域

情報技術の利活用が進展する中、情報の管理、組織の効率的・効果的なサポートのための情報技術、情報システムの適切な活用が求められ、これら事項に関する専門家の育成が必要となっている。IS分野は、そのような専門家に求められる能力育成を図る分野と規定され、そのための知識体系がISBOKと呼ばれている。
公開されたISBOKは、大項目から小項目までの3レベルで知識項目が展開されており、大項目は、情報技術の基礎的な側面、組織や管理に注目した組織的な側面、情報システムの仕様・設計・実装・運用などに焦点をあてたシステム理論と開発の側面の、3つの側面から整理されている。J07のISBOKは、IS97のBOKに「社会や技術の変化、わが国固有の教育事情」を加味し、体系化されている。

J07-IS領域の知識体系(J07-ISBOK)
レベル1(大項目)
情報技術
レベル2(中項目) レベル3(小項目)数
コンピュータアーキテクチャ 6
アルゴリズムとデータ構造 10
プログラミング言語 7
オペレーティングシステム 13
通信 12
データベース 13
人工知能 5
レベル1(大項目)
組織と管理概念
レベル2(中項目) レベル3(小項目)数
組織理論一般 7
情報システム管理 17
意思決定理論 5
組織行動 8
変革プロセスの管理 4
ISの法的、倫理的側面 8
プロフェッショナリズム 7
個人的または対人関係の技能 10
レベル1(大項目)
システムの理論と開発
レベル2(中項目) レベル3(小項目)数
システムと情報の概念 6
システム開発へのアプローチ 5
システム開発の概念と方法論 7
システム開発ツールと技術 3
アプリケーション計画 5
リスク管理 3
プロジェクト管理 15
情報とビジネスの分析 3
情報システム設計 7
システムの実装とテストの戦略 9
システムの運用と維持 4
特殊な情報システムの開発 10
合計 209

CE(Computer Enginerring)領域

CE領域の知識体系は、米国のCE分野の標準カリキュラムであるCE2004を参考に、わが国の産業の状況をふまえたものとなっている。 CE2004では、CE領域を、現代のコンピュータシステムとコンピュータ制御機器に使用されているソフトウェアとハードウェアの要素の設計、組み立て、実装および維持する科学/技術を扱う分野として定義しており、カリキュラムも、そのための人材を育成するものとなっている。これに対し、J07のCE領域では、カリキュラムによって育成される人材として、コンピュータそのものを開発する人材ではなく、組込み技術を扱う人材を想定しており、この点に、わが国独自の産業構造に対する配慮が見られる。

J07-CE分野の知識体系の概要
略称 知識領域 ユニット数 コア時間
コンピュータ工学の知識領域とユニット
CE-ALG アルゴリズム 9 25
CE-CAO コンピュータのアーキテクチャと構成 9 38
CE-CSG 回路および信号 17 18
CE-DBS データベースシステム 8 5
CE-DIG デジタル論理 10 29
CE-DSP デジタル信号処理 10 17
CE-ESY 組込みシステム設計 24 30
CE-HCI ヒューマンコンピュータインタラクション 13 7
CE-NWK テレコミュニケーション 16 22
CE-OPS オペレーティングシステム 10 22
CE-PRF プログラミング 8 14
CE-SPR 社会的な観点と職業専門人としての問題 15 16
CE-SWE ソフトウェア工学 11 16
CE-VLS VLSIの設計および製造 11 8
数学の知識領域とユニット
CE-DSC 離散数学 6 23
CE-PRS 確率・統計 11 15
合計 188 305

SE(Software Engineering)領域

情報システムや組込みシステム等、ソフトウェアの重要性が増す中で、ソフトウェアの生産性、信頼性向上に対する要求が高まっている。そのため、ソフトウェアエンジニアリングに関する専門教育の充実が求められている。
J07のSE教育では、ソフトウェアやシステム開発における実践(エンジニアリング)的観点(開発ライフサイクル全体の網羅、品質・生産性・コストの重視、人間およびチームによる開発)が重視されている他、「ものの考え方」を身につける学問として、モデリング、V&V・プロセス改善、マネジメントや実践に必要な概念を幅広く習得することを目指している。これまでにも、情報処理学会では、大学学部でのSE教育に必要なBOKとして、米国のCCSEを日本向けにアレンジしたモデルカリキュラム(Jpn15)を既に提示しているが、Jpn1は学習内容が多く、わが国の学部教育のカリキュラム時間数の制約等により、現実的な学部教育への導入は難しいと指摘されてきた。そのため、今回の標準カリキュラム策定では、J07-SEをJpn1のサブセットと位置づけ、SE専門教育の学部教育への導入に対する配慮が加えられている。

J07-SE領域の知識体系の概要
知識カテゴリ名 Jpn1対応BOKサブユニット数 単位数 時間数
情報科学基礎知識項目
確率・統計 3 0 0
離散数学 4 2 22.5
論理と推論・計算理論 5 2 22.5
コンピュータ基礎 2 2 22.5
オペレーティングシステム基礎・データベース基礎 2 2 22.5
ネットワーク基礎 1 2 22.5
一般工学基礎 10 2 22.5
データ構造とアルゴリズム・プログラミング言語基礎 9 2 22.5
ソフトウェア・エンジニアリング知識項目
ソフトウェア構築 20 2 22.5
ソフトウェアモデリングと要求開発 3 2 22.5
ソフトウェアアーキテクチャ 4 2 22.5
ソフトウェア設計とHCI 6 2 22.5
ソフトウェアV&V 5 2 22.5
形式手法 7 2 22.5
開発プロセスと保守 9 2 22.5
ソフトウェア品質とエンジニアリングエコノミックス 3 2 22.5
ソフトウェア開発マネジメント 16 2 22.5
合計 32 337.5

5 Jpn1は、JABEE認証とABETの認証を意識したモデルカリキュラムとなっている。http://blues.se.uec.ac.jp/acc-se/IPSJ-SE-Curriculum.htmlに公開。


IT(Information Technology)領域

IT領域は、情報システムからアプリケーション技術、そしてシステム基盤に至るまでの広い範囲にわたって、組織や自今の情報技術に関する広範囲なニーズに応えることを目指す領域と規定され、IT領域の教育が目指す人材は、情報システムの開発に携わる人材だけでなく、情報システムの発注者や利用者も含まれる。策定された知識体系は、IT領域を対象とする学科における2・3年次の約1.5年間の専門課程を想定して策定されている。

J07-IT領域の知識体系の概要
略称 エリア(知識領域) ユニット数 コア時間
ITF IT基礎 6 33
HCI ヒューマンコンピュータインタラクション 7 20
IAS 情報保証と情報セキュリティ 11 23
IM 情報管理 6 34
IPT 技術を統合するためのプログラミング 7 24
NET ネットワーク 6 20
PF プログラミング基礎 6 38
PT プラットフォーム技術 6 14
SA システム管理とメインテナンス 4 11
SIA システムインテグレーションとアーキテクチャ 7 21
SP 社会的な観点とプロフェッショナルとしての課題 9 23
WS Webシステムとその技術 6 21
合計 81 282

情報専門学科カリキュラム標準J07の公表・普及

情報処理学会では、 情報専門学科カリキュラム標準J07の最終報告を2008年3月に開催された情報処理学会第70回全国大会で行い、 情報専門学科カリキュラム標準J07の全体像が報告された。 その中では、従来の5つの領域と合わせ、 一般情報処理教育の知識体系(GEBOK)(GEは、General Educationの略称)も報告された。 また、同報告では、これらの5つの領域に加え、将来的に非専門学科での情報専門教育BOKを整備していくことの必要性も提唱されている。

一方、情報処理学会では、情報専門学科カリキュラム標準J07の策定にあたっては、産業界との連携も重視している。具体的には、 産学人材育成パートナーシップ情報処理分科会を通じて、産業界に紹介するとともに産業界からのコメントに対応する形で産業界との連携を進めている。 さらに、情報専門学科カリキュラム標準J07の普及の観点から、共通キャリア・スキルフレームワークとの対応付けも視野に入れる等、情報専門学科カリキュラム標準J07を 本格的に普及するための総合的な検討等、産学官による普及方策が模索されている。